III International Symposium on
the Ancient Maya in Japan:
Recent Interdisciplinary Research in
Maya Archaeology
第3回
国際マヤシンポジウム
異分野融合で見える最先端のマヤ考古学
コパン王朝史を解き明かす:
最新調査成果から見た古典期前期のコパン
中村誠一
(金沢大学)
マヤ文明圏の南東端、ホンジュラス共和国の最西部に位置する世界遺産「コパンのマヤ遺跡」は、古典期マヤ文明を代表する古代都市遺跡の一つである。「ヤシュ・クック・モ」と呼ばれる外来の人物によって紀元後426/427年に創始されたコパン王朝は、それから約400年の間、16人の王によって継承されたとされる。このコパン王朝史は、数多いマヤ文明諸都市の王朝史の中でも最も精緻なものの一つ、と言われることもある。しかしながら、よくその内容を検討すると、古典期前期にあたる王朝史前半(紀元後426/427年∼553年)には不明な点が数多くあり、決して確立された王朝史とは言えないことが分かる。
コパンを含む古典期マヤ文明の諸都市では、古典期後期(紀元後600年∼850年頃)が都市の最盛期であるため、古典期前期にあたる時代の建造物や遺構は、通常、地表面に露出しておらず、すでに破壊されているか、古典期後期の建造物や遺構の下に深く埋まっているのが通例である。そのため、考古資料、碑文資料ともに古典期前期の資料は少なく、最も精緻と呼ばれる復元王朝史をもつコパンもその例外ではない。1990年代にアメリカとホンジュラス合同の調査団からなるコパンアクロポリス考古学プロジェクト(PAAC)が、アクロポリス東側に全長3キロを超すトンネル網を掘り、古典期前期の建造物やそれに伴う記念碑・遺構を数多く発見したが、それでもコパン王朝史の前半を未だ確固なものにはできていない。
一方、1999年から20年間にわたりコパン谷内の複数の地区で地道な発掘調査を続けてきた発表者のプロジェクト(PROARCO)は、コパン王朝史の中でも不明な点の多い古典期前期の建造物や特殊遺構(奉納、埋納、埋葬、大型石室墓、等)を数多く発見し、放射性炭素年代測定値に裏付けられた王朝史前半の重要な資料を蓄積してきた。そして、2019年4月からは、アクロポリス西側を含むコパン遺跡中心部の大規模な発掘調査に着手しており、コパンアクロポリス考古学プロジェクトの成果を独自資料で検証し続けている。
この発表では、これまでのコパン考古学の定説に変更を迫る新資料を提示するとともに、最新調査成果から見た古典期前期のコパンの姿に迫る。
略歴
金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センター教授。金沢大学法文学部史学科考古学専攻出身。考古学的観点から古代マヤ文明の王朝史の研究を行っている。1983年よりマヤ地域各地の考古学調査に従事し、数多くの考古学プロジェクトを指揮してきた。代表的なものにホンジュラスのコパン遺跡、エル・プエンテ遺跡、ラス・ピラス遺跡、グアテマラのティカル遺跡、などがある。代表的な著作に『マヤ文明を掘る-コパン王国の物語』(NHKブックス、2007)、『マヤ文明はなぜ滅んだか-古代都市興亡の歴史-』(ニュートンプレス、1999)などがある。